坂口安吾
底本:「坂口安吾全集 02」筑摩書房
1999(平成11)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「早稲田文学 第三巻第五号」
1936(昭和11)年5月1日発行
初出:「早稲田文学 第三巻第五号」
1936(昭和11)年5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:今井忠夫
坂口安吾
伊東伴作は親代々の呉服商であつた。学問で身を立てようとしたこともあつたが、一向うだつがあがらないので、このごろは親代々の商人になりすましてゐた。
或日雨宮紅庵といふ昔馴染が、見知らない若い女を連れてきて、この人は舞台俳優になりたいさうだが世話をしてくれないかと伊東伴作に頼んだ。なるほど伊東伴作はその方面に二三の知人がないではないが、女優を推薦するほどの柄も器量もある筈がなし、それに打見たところ女は容姿こそ十人並以上の美しさと言へるが、これといふ特徴がなく、外貌の上ばかりではなく内面的にも全てがその通りの感じで、却つて白痴的な鈍重さが感じられるほどの至つて静的な女に見受けられるから、自分には女優を推薦するほどの手蔓もなし器量もないのでと言つて断つた。ところが雨宮紅庵は伊東伴作の気持には一向平気なもので、尠(すこ)しもぢもぢしたが、それも心底から間がわるさうな様子ではなく、却つて図々しさを暗示するやうな押しつけがましいものに見えた。さうして、必ず舞台女優でなければといふわけではなく、レビュウの踊子でもいいんだからと、独語でも呟く工合にブツブツ口の中で言つてゐたが、又その次には違つた調子で、グイと膝をのりだしながら、ダンスホールのダンサアだつていいんだから一通りのソシアルダンスを覚える手蔓だけでも与へてくれないかと言ひだしたりした。
雨宮紅庵は三十七歳であつた。これといふ定まつた職業も持たず、とりたてて言ふべきほどの希望といふものも持つやうには見えず、すくなくとも希望を懐(いだ)いて励むといふ風情は何事に就ても見受けられず、妻子もなく、財産もなく、時々住む家もなかつた。その代り、将棋と囲碁は田舎初段の腕前があり、嘗ては新聞のその欄を担当したり碁会所の師範代とも居候ともつかないことをやつてみたりしたこともあるが、その道で身を立てる気持は微塵もなかつたので長続きがせず、文学、美術、音楽、何を語らしてもとにかく相当の見識はあるのであつて、手相指紋骨相なぞにも玄人めいた蘊蓄があるかと思へば天文地質生物学なぞといふものに凝つてみたり、今時には珍らしく漢詩に精通してゐると思ふと二ヶ国ぐらゐの横文字も読めるといふ風に、とにかくその趣味は多方面にわたり、かつその全生活が趣味以上にでなかつた。趣味以上にでるためには必然その道に殉ずる底(てい)の馬鹿も演じとかくの批判も受けなければならないのが阿呆らしくもあり怖ろしくもある様子にみえた。人の弱身に親身の思ひやりがあり且甚だ誠実であるといふので、窮迫の時も友達に厭やがられず愛されたものだが、その誠実や思ひやりの由来するところは、要するに人の慾念の醜さを充分に知悉し自身もその慾念に絶えず悩まされてはゐるが、さうして慾念を露出しそれに溺れる人生こそ生き甲斐のあるものではないかと考へてみるが、自身は世間に当然許された破戒さへ為(し)でかす勇気がないといふ、自意識過剰の逃避性からきてゐるやうにも思はれた。
「ダンス?」伊東伴作は鸚鵡返しに怪訝さうな面持をして呟いた。
伊東伴作はダンスホールに縁遠い人柄で、酔つ払ひでもしなかつたら冗談口一つ言へないやうな男だつた、さうして然(そ)ういふ多彩にして溌剌たる世界には多分に没交渉な生活を営んでゐるが、それを充分知つてゐる筈の雨宮紅庵が、臆する気配も見せず斯(こ)ういふことを切りだしたので吃驚(びつくり)した。
「いや、たつてといふわけぢやないんだ」と、紅庵は再び表面(うわべ)だけもぢ/\とためらふ気振(けぶり)をみせたが、
「別の部屋で、ちよつと君に話したいことがあるんだけど……」
と言つた。そこで二人は別室へ這入つた。
「あの人は君の恋人か?」と、別室で二人になると伊東伴作はまづ訊ねた。
「いや、さういふものではない」と、わざと周章(あわ)てたやうな吃り方で紅庵が答へた。